2020年1月2日木曜日

菅家福次日記:1943年1月5日 ワラグツ作り

菅家福次日記:1943年1月5日 ワラグツ作り
■藁靴作り
■1943年1月5日(火)吹雪
 朝食後、□□兄、次□兄、伊勢松兄、栄松君へ年賀状旁々縷々書いて昨夜の手紙と共に新八君に依頼する。彼は牧沢に行くと云ふ。十一頃より藁靴作り。一郎君規定兄を送って行く今日帰宅。猛吹雪で雪下で見合わせ。幸喜君出発、喰丸の帰還兵あり。往来頻繁道良好(冷水)。今日の発信、箋五枚、手紙、家から大谷への弔意状。
 作業表では藁靴三足、長兄(清次)が一月五日より製炭を十四日まで休まず行っている。

■(解説)小野川本村の中島の渡辺新八が西山村(柳津町)牧沢に行くというので、戦死した大谷村(三島町)大谷の親戚宛の手紙を託す。喰丸に戦地から帰ってきた人(帰還兵)。往来が多いので雪道は踏み固められて良好である、と書いている。同じ大岐の一郎は、大雪で出征兵士を送れず、家の雪下ろしをした、という。

→初出 2011年1月5日





只見町 2007年4月撮影
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■2020年1月2日追記:一郎氏は奈良布開拓に出て、2019年10月2日に94歳で事故死した。葬儀は会津坂下町の葬祭会館で10月6日に行われ参列した。同日、親戚の小中津川のフクイ姉99歳も葬儀が自宅で行われ父が参列、私は会津坂下町の火葬場に行く。火葬場は一郎氏と同じ。