2020年1月2日木曜日

菅家福次日記:1943年1月19日 ムササビ

菅家福次日記:1943年1月19日 ムササビ
■新田の尾根でバンドリ撃ち
■1943年1月19日(火)晴れ、冷、風
 風の強い日である。一時頃炭を出す。夕方荷造ると約三俵あり、自分が焼。初めてから五俵となった。道がなくなって居るので一俵背負っては仲々ひどい。夜、一郎君と新田の峯より上ワナ沢の峯を一廻りして晩鳥射ち行く。新田の峯で一匹射ち、鹿射に来て姿一匹見る。発砲数一発。受信横須賀通信学校の栄松君より。

★(解説)初めて一人で行った炭を出す。炭を背負い雪道を運ぶ。夜にバンドリ(ムササビ)を撃ちに山中に入る。岩山の北嶺続きのシンデン(新田)のソネ(峯・尾根)、カミワンナザア(上ワナ沢)、シカブチ(鹿射)。一匹捕獲している。毛皮が軍隊の防寒用として高く売れた。シカブチとはクイナ(喰名山)の南尾根鞍部とワンナ沢の源流部にある尾根を掘り込んだ掘り割りで、古くはこの落とし穴でシカを獲ったという。捕獲成功すると烽火(のろし)を上げた、という話が伝わっている。中世城館跡とも思われる構造物である。

このときの炭焼きは赤く焼けた木材を窯から引きだし湿った灰を掛けて急速に冷やすことで堅く締める堅炭の「あかめ(赤目)」と呼ぶ白炭である。通常は「くろげし(黒消)」といい黒炭で製造法が異なる。補助焚きとは、クド(煙突)にフタをして焼くことを言う。窯内の木を暖める。



↑大岐集落と後背山塊。左より岩山・ワンナ沢、シカブチ、右手のピークはクイナ(山)。2011年1月2日菅家博昭撮影。
初出