2012年5月30日水曜日

小野川 岩下の庚申塔


■2012年5月30日(水)
 5月30日は、幕末に菊重が拓いた大田圃場に、かすみ草苗・銀河を植える。定植作業のはじまり。約60日で開花する。8月1日より出荷予定分。
 そういえば3日前、5月27日、標高1000mの博士峠、昭和村小野川分のブナ林で、渡り鳥のジュウイチが鳴いていた。今年、はじめて聴く。ツツドリ、ホトトギスについで3種目、カッコウはまだ。

 今週は、土曜・日曜に出張があるため、今日から圃場での作業を詰める。来週は6月7日を中心に、かすみ草を販売されている関東地方の小売店の皆さんが来村される。7日の午後より関西へ出張、花束加工を見る。
■6月20日の奥会津大学の大岐集落散策のフィールドワークのための、聞き取り作業を昨夜も、集落内の1軒のお宅を訪問して話をうかがった。大正2年(1913)8月26日の滝谷川の洪水・水害で、伐採・準備していた建て替え用の屋材が流されたため、喰丸の古家を解体し牛にて喰丸峠を運搬した材で家を大岐に建てた、という話が出てきた。ちょうど100年前、大岐の鎮守・大山祇神社の石段の3段目まで水が集落を冠水した年。
 大岐では集水域の博士山で「ききり(樹伐り)」(ブナ伐採)がはじまると川沿いのため、水害常襲となってくる。「らいさま(雷様)雨降っと、いっつも、川の水がのるようになった」といい、それは川沿いの3軒(久雄宅、亨宅、勝四郎宅)が多かった。本家(一二宅)のめえのくら(前の蔵)に住んでたイチノ姉は、蚕飼って(養蚕)糸から布織り、昔から「染屋」であった本家にあった「型紙」で上品に染めた布を仕立てた着物もってやった。染めの型紙は蔵にいっぺ(たくさん)あった。「やこぼし(家壊し)」や「じならし」の時にでてくっかもしんにぇ。
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■父・清一はオゴンザア(黄金沢)の二段の滝、その上方から引いた堰、手堀の水路が、かのえさま(庚申塔)のところの水田や、アサの漬け場、楢布原を経由して隠れ里、尾根を掘り「ほった(堀田)」までの水路図を書いた。近世後期のことと推察される。黄金沢堰、と名付ける。
 岩下堰が出来たのは新しい。現在の奈良布集落は第二次大戦後に開拓されて出現した集落で、その開拓で開かれた水田のために、この古い時代の水路が上部で利用されて水田が造られた。当時は朝草刈場、茅場で草地として管理し馬の飼育のための草肥農業の基本的な場所で大岐集落の7軒を支えた景観であった。水路ではイワナ捕りを盛んにしている。流路の分岐端を止めれば堀が干上がり、数十匹のイワナを捕獲した後に水路を復させる。
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かのえさま
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奈良布(楢布原)
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こなら
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奥会津西山地熱発電所、左方の蒸気噴出分は、硫化水素を脱硫せずに放出している井戸。右側は発電所の噴気。2012年5月29日、午前に菅家博昭、県道より撮影。