2014年7月19日土曜日

山奥の小さな村(むら)に棲む理由、、、そこに棲む幸せがある

2014年7月16日夜、会津若松駅前の居酒屋で、かすみ草栽培農家の集まり、その後半に高尾嶺農園(新鶴)の菊地敏雄さんと対座して話しました。


 春から調べている会津美里町、
会津高田の東尾岐(ひがしおまた)の
川島重英(与五衛門)の義挙後の会津藩
による処刑翌年、会津地域の栽培ウルシの木には
「白髪太夫(しらがだゆう)」という蛾の幼虫
による食害で、葉が無くなり、木が枯れた、
という話を、菊地さんに投げてみた。

 「白髪太夫」と呼んでいる毛虫はいた、
という。クスサン(蛾)の幼虫で、与五衛門と、
同じものだ。漆の木は畑のシモのふち(斜面)
に植えて、桐の木は畑に植えた、という。
桐は作物で、桐の木の下では小豆やマメがよく育った。
クルミの木の下では何も育たないので、
桐の木は混植が可能。
 白髪太夫(毛虫)が糸を吐き、
繭を作る直前の毛虫の内臓から釣り糸・テグスを作った。
手に酢を付けて、腹から糸をつまみ出す。
そうすると太い糸が取れ、どんな魚でも切れない糸が作れた。
これは、我が大岐の故・勝四郎兄からも聞いた話だ。
 馬の尻尾の毛で、小鳥を捕る罠も作ったという。
牧沢の天野昭一さんから聞いた「つぼ」という罠で、
それで「さんこ」(鳥)をとったというが、菊地さんは、
それは「サンコウチョウ」だろうと言う。
 山の樹木のうち、クリ、サクラ、ホオノキは炭焼きで伐らずに残した。

■いろいろ山棲みの話を聞いたが、かつては、
そこに棲(す)む理由があり、
そこに棲むことの幸せがあった、という。 





20140718dsc06616 
2014年7月18日午前6時頃、福島県”奥会津”昭和村小野川字大岐集落。
右手山塊は博士山の西麓。滝谷川の左岸に集落。ハウスはかすみ草。