2012年4月3日火曜日

大正2年(1913)8月26日の大水の記憶「石段3段目」


■大正2年(1913)8月26日、奥会津は大雨・大水。当時の大芦村の大岐(現・昭和村小野川字大岐)では、村の西後背地にある鎮守に登る「きだはし(石段)」の3段目まで水がのった。村の東、川向の観音様のある土手近くまで「水が乗った」と言う。観音様は土手の石山にあり、松などもあったが、その後、現在の尾根突端の場所に移転している。
 我が家も床上浸水(3m)し、「押し切り」が流され、2軒川下の家近くに引っかかっていて、それは「おらい(我が家)の押し切りだから」と回収、持ち帰った。
 この大正2年の洪水は、大芦で民家3棟流出、下中津川も50~60軒浸水、松山の橋が流された。水田は表土が流され河原化した。松山では橋林(帳面木)という橋の架け替えのための共有林があった(『昭和村の歴史』143ページ、1973年)。
 99年前の出来事である。
 国有林のブナ・ナラの伐採で昭和44年(1969)8月11日も有史来の大洪水が昭和村を襲っている。昭和42年には昭和森林開発チップ工場が出来ている。
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この石段の3段目まで水位は上がった