2020年1月2日木曜日

菅家福次日記:1943年1月9日 雪の掃除

菅家福次日記:1943年1月9日 雪の掃除
■教室の掃除
■1943年1月9日(土)風、小雪
 寒き日であった。学校に一番早く行く。昨夜の風で相当吹き込んで居る。教室を掃除する。学科は教科書にもとづいてやっていくが、自分には本が渡らない。先生に金はやってあるのだが。乾布摩擦をすると□□さん達驚いている。夜は、叔父の家へ行って遊んで来る。学科を内訳で云ふと国史購読、理科(衛生)。中島泊。

■(解説)福次20歳は自宅のある大岐から4kmほど上流にある小野川本村の親戚の中島と呼ばれる新八宅に宿泊して青年学校2日目。小野川の叔父の家に行ったと言っている。カミ(上)の三芳miyoshi宅と思われる。我々の時代にはミヨジイ(三芳爺様)と呼んでいた。

  週末に行われているようだ。福次が通った校舎ではないが木造校舎の私たちの時代も同じだったが、夜のうちに戸の隙間から雪が室内に舞い込んでいる。そうならないように新聞紙を細長く切って戸の隙間にノリで「目張り」するのだが、それでも雪は入り込む。朝、ホウキでそれを履いてチリトリに入れて外に出す。戦後、昭和40年代でも私たちの冬期間は大岐・奈良布・見沢に季節分校が出来て、そこの冬の仕事は吹き込んだ雪の掃除(始末)と薪ストーブで教室内を暖めること、後半は石炭ストーブになったが、強風(吹雪)だと煙突に強風が入って、ストーブからの吹き返しで教室内は煙だらけになった。