菅家福次日記:1943年1月7日、蕎麦
■蕎麦
■1943年1月7日(木)晴れ、小雪。
竹雄兄出発下通り堺沢まで見送る。小野川より大勢来る。村通過十時頃、待ち疲れる位。屋根雪下ろし開始。担当多載故困難。青年学校開始の報、今日聞く。好さん忘れる。夕食は叔母がうった蕎麦で舌つつみ。過日のおしどりの下地。五良君帰、工場。本炭積換へ。
■(解説)戦後に開拓された境ノ沢集落も奈良布集落もまだ出来ていない。竹雄兄が出征するので小野川から大勢見送りに大岐まで来て、境の沢まで見送った。屋根の雪下ろしをする。夕食はカモ(オシドリ)を汁とした(下地)のソバ(蕎麦)。その蕎麦は叔母が打ったもの。炭の積み替えをしている。昭和村では、冬山の狩猟で捕獲したヤマドリ下地(したぢ)のソバが最高と言われている。暖かいソバ(かけそば)。