1675年、小野川端村(はむら)大岐の記録
■6月20日の午前に小野川字大岐(集落)をフィールドとして開催される奥会津大学。そのための調査活動を継続している。
奉勧請 雷神 小野川村
(右)山神 旧在 小野川端村大岐
(裏)延宝三年乙卯三月吉日 社座 陸奥州大沼郡小野川村 謹言
■この木札の延宝三年は1675年。337年前。大岐が文字の形で残っている最古のものであろう。
■会津藩の『家世実紀』に延宝七年(1679)八月三日条に大岐の熊皮の問題が記載されている。333年前。大岐という場所は金山町にもあるが、この大岐は現在の昭和村。また隣接する会津美里町には尾俣(小俣、尾岐)がある。滝谷川の最上流の小野川は昭和村小野川のほか、下流域の三島町に小野川原、柳津町に小ノ川(只見川合流部)がある。
■小野川の大乗寺は天文二十二年(1553)の創建とされる。459年前。
伊達政宗が奥会津平定で博士峠を小野川に来たのは天正十七年(1589)。423年前。野尻に駐屯し布沢を拠点として横田山ノ内氏を攻める。
これらから約500年前の1500年頃までには現在につながる小野川村落は成立していたと思われる。
見沢は宝永六年(1705)に16軒・107人の木地屋衆が耶麻郡黒岩村より飛び見沢木地を形成する。
天明年間(四年以降、1784年~)には王博士山中にハタヤマ木地が営まれる。
享和二年(1802)~琵琶首下平木地
享和年間(三年、1803年~)から嘉永三年七月九日の小野川大火まで、岩下木地が営まれる。
文政年間(十年、1827年)、小中津川村に柳沢木地。明治二十六年(1893)まで。そのうち1軒は菅家姓のみの大岐集落内に転居し百年近く暮らしたが、後に菅家に改姓したが現在、その家は廃絶している。
この長期間柳沢に居住した一団とは別に、近江国から信州、そして永禄八年(1565)に実川、慶長八年(1603)入谷ヶ地村の文道沢、寛永元年(1624)小野川山板宿、寛永十九年(1642)に柳沢、延宝元年(1672)に小野川山、そこから貞享五年に両原の赤倉に移った(馬場勇伍・本)。