2010年5月1日土曜日

4月30日、母上は笹巻き作り





■2010年4月30日、母は笹巻き作り。コゴミは野尻川流域の人が今日採ってきたといただいたもの。大岐ではコゴミはまだ雪の下。例年より雪消えは10日ほど遅く、かすみ草の畑にも雪がまだある。

2010年4月4日日曜日

屋根の塗装



■2010年4月4日(日)3月下旬より国道401号博士峠は昼間のみ通行可能。除雪。3日午後は吹雪。

2010年1月30日土曜日

1月29日、雪








■2010年1月29日。会津盆地は雨、昭和村大岐は今日は、雪。1月の雨で、少し雪は沈む。150cm。

2010年1月8日金曜日

カンジキを作る日々


■2010年1月8日(金曜日)午前は晴れ、午後は吹雪。前日は猛吹雪。毎日朝夕、家廻りの除雪(雪掘り)をしたあと、

 父・清一は、大型ハウス内で、昨年5月頃に採取し曲げておいた地竹の輪カンジキ作りをしています。

2010年1月3日日曜日

2010年1月2日土曜日

2010年1月1日 吹雪






■年末から年始は奥会津も、会津盆地も吹雪となっている。

2009年12月19日土曜日

12月19日、雪1mに





■2009年12月17日、18日、19日と降り続いた雪は、それまで雪のなかった山野を一面白い銀世界に変えました。大岐、標高730mで、積雪深は1m。風が無く、降り積もった雪は屋根から落ちることなく重い「里雪」で、建物2階での石油ストーブ焚きで空気を暖め屋根を暖めて雪が落ちるようにしなければなりません。大型ハウス(鉄骨)も、同じです。

2009年11月30日月曜日

フユガキ(冬囲い)終わる







■2009年11月30日(月)曇り。雪は無い。山にも無い。11月2日~3日に20cmの初雪が大岐集落に積もっただけで、溶けてしまった。
 雪から植木や家屋を守るための防護柵を設置する「ふゆがき(冬囲い、雪囲い)」が終わっている。

2009年11月8日日曜日

だいこん摘み





■2009年11月8日(日曜日)晴れ。暖かい小春日和。

 「11月の小六月(ころくがつ)」という小春日和。境の沢圃場の沢側上に盆に蒔いたダイコンを父母は収穫して、「にゅう」にした。「だいこんにゅう」という。「にゅう」とは「にお」のこと。

2009年11月6日金曜日

11月2日16時から初雪に、20cm


■今年・2009年は11月2日の夕方より初雪となり、3日までに20cmの積雪があった。4日は晴れ、零下3度となり、初氷が張った。晴天であり、5日には圃場(畑)の雪はとけたので、作業ができるようになった。

 最初から白い雪が集落に降り、この雪は北海道東北地方に広くふり、大岐と会津若松市内で同時初雪という快挙の年。

2009年10月28日水曜日

10月28日、落葉始まる





■2009年10月28日(水)

 10月8日の台風18号(強風)、10月26日・28日の台風20号(雨)が過ぎ、ブナの落葉は進んでいる。

2009年10月9日金曜日

川田順造さん


■2009年10月9日(金)曇り

 台風18号が、10月8日(木曜日)の正午頃、台風の目が、昭和村大岐の直上を通過した。午前5時頃からの強風で大岐地区のかすみ草ハウスは水田転作のセキバ、高畠等でビニルが破損する被害があった。2年ぶりの上陸。

■2005年8月4日(木曜日)午前、文化人類学者の川田順造さんが昭和村大岐に来られた。高畠のカラムシ畑(モト子姉)を案内し、岩下木地の庚申塔、下平木地跡等を案内した。神奈川大学の日本常民文化研究所の福島県奥会津地方(田島、昭和など)のカラムシ織り等の伝承技術調査のなかでの来岐であった。

 川田さんは民族文化映像研究所の姫田忠義さんらから昭和村(大芦のカラムシと大岐のアサ)のことを聞いておられた。そのためもと「じねんと塾」の佐藤孝雄君に連絡があり、彼が川田さんを送迎された。1997年~8年にかけて『岩波講座 開発と文化 全7巻』(岩波書店)が発刊され、その編集委員の一人でもある川田さん。この本の7巻目の帯には「持続可能な地球社会を創造する」と書かれている。

 モト子姉は昨年でカラムシ栽培を止めた。今年は畑は荒れている。

■川田順造さんは中央公論新社より2008年3月に『もうひとつの日本への旅 モノとワザの原点を探る』に、144ページから「伝統工芸」はいま、、、、として、「からむしの里を訪ねる」としてこのときのからむしの取材記を残している。




2009年9月29日火曜日

330年前の大俣(おおまた)

■2009年9月27日(日曜日)夕方、会津若松市城東町の会津図書館で、『会津藩 家世実紀』第3巻(歴史春秋社、昭和52年刊)407ページから409ページを見てきた。

 雑誌『会津学』5号(2009年8月刊)の仙台市の村上一馬さんの「熊皮の抜け荷」の記事の原本にあたって、そのことについて28日の夜に父母に話した。

 『家世実紀巻之五十三』(延宝7年8月3日)には、熊皮を売った人々として「間方村久五郎、大俣村市郎右衛門、枇杷首村次郎兵衛」と記載されていた。 

 「江戸時代には、イチゾウって人がオオマタには、昔いたから、それはミーバアイェー(ミ婆家)ねーがあ?名前にイチ(市)が付くからな」

■我が家の祖先らが記した香典受払帳なども「大俣村」と記述しているものが多い。いまは「大岐(おおまた)」となっている。一里下流の琵琶首は枇杷首と表記されている。志津倉山を囲む三島町間方、昭和村大岐、柳津町琵琶首は、猟師も多く、クマ獲りも現在も行われている。

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■雑誌『会津学』3号に書いた記事について、そのときの話者・只見町の渡部さんから遠藤由美子編集長に連絡があり、恐縮した。「ナデ橋はとても危険なもの」ということで、現在では渡ったり、その下をくぐったりしてはならない、ということを付記されている。ありがとうございました。

■菅家博昭の日録サイト→→→記憶の森をあるく


■秋彼岸を終え、キノコが多く食卓に出ている。自生のトビダケ(黒色)、栽培のマイタケ。

2009年9月26日土曜日

雑誌『会津学5号』に江戸時代の大岐が掲載

■2009年8月下旬に発刊された年1冊刊行の雑誌『会津学』5号(奥会津書房)の、223ページから村上一馬さんが「熊皮の抜け荷」ということを紹介している。
 『会津藩家世実紀』に掲載されている事項に大岐がある。
 延宝七年(一六七九年)八月三日条に、今年の二月に南山の御蔵入地に行き、間方村と大岐村と琵琶首村の者に熊皮を買うと言い、三月に再訪し三か村で熊皮九枚、熊胆三つを金五両と銭二貫七百文で購入した、と記載されているという。

村道 大岐1号線


■2009年9月25日、ほぼ舗装が終了した。