2012年4月26日木曜日

小野川村大岐 菅家菊重(1834-1909)

■2012年(平成24年)から130年前。

小野川本村の上坪にある三島神社。その参道入り口にある石灯籠の左側下部に15人の世話人の一人として菅家菊重が陰刻されてある。明治十五年(1882)午七月吉日。

この年、菊重の子・セツと竹次郎(竹造)の間に、菊造が2月9日に生まれる。菊造は昭和13年(1938)7月28日、56歳没。

菊重は天保五年(1834)6月7日大岐に生まれ、大田を拓き、カラムシ(青麻・青苧)やアサを生産し、冬期間は関東商い(漆器の販売)をした。明治42(1909)11月20日に75歳で死去。この石灯籠が建立されたころは48歳。









2012年4月22日日曜日

240年前のスギ。大岐の御宮(山の神)


■2007年5月1日に神社の裏の直径が60cmくらいの杉の木、昨年の大雪で伐られた物、、、年輪を数えてみました。約240年。奥には直径1mほどの切り株の古株もあるので、相当古い。
■1770年代、日本は明和年号で、10代将軍の江戸時代。アメリカ合衆国独立宣言の頃。20070502_4789 1780年代から天明の飢饉、、、、に
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2012年4月14日土曜日

天狗様まつり、石祠設置へ


■2012年4月12日
 本日、大岐の大枝沢天狗神社の祭礼日。午前のみ奉納籏が上がる。11日に石祠が設置された。
  大岐世話役(いわゆる区長)は3月末で我が家(清一)は終わり下隣家の亨兄宅になっている。
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2012年4月7日土曜日

2011年夏・大岐高畠産からむしが布となる

■2012年4月6日(金)

 2010年夏、2011年の夏に大岐・高畠のモト子姉(現・小野川住)のカラムシ畑karamushi-patakeから収穫された繊維(苧wo)が、2011年の1月からの冬に糸に績まれ、紡がれ、いざり機izari-hataにかけられ織られた。


上:高畠、後背山地はクイナ(喰名)山

2012年4月6日金曜日

4月3日・4日 強風・吹雪

■数十年に1回の強風・吹雪。メイ・ストーム(5月の嵐)、爆弾低気圧?とニュースでは語る。

■4月12日は大岐の大枝沢天狗神社の大祭日。今年は石祠が奉納される(6月24日は御愛宕様にも古い石祠が破損していたので、新しく奉納する予定)。



※5月4日は博士峠水芭蕉の杜(小野川)で恒例の水芭蕉祭りがある。先日依頼があり6ページの資料を作成しました。→→→ PDF 6枚(612MB)








『奥会津 神々との物語』(奥会津書房、2000年)36-41ページに「見えないものを見る意志」として書いた。



2012年4月3日火曜日

大正2年(1913)8月26日の大水の記憶「石段3段目」


■大正2年(1913)8月26日、奥会津は大雨・大水。当時の大芦村の大岐(現・昭和村小野川字大岐)では、村の西後背地にある鎮守に登る「きだはし(石段)」の3段目まで水がのった。村の東、川向の観音様のある土手近くまで「水が乗った」と言う。観音様は土手の石山にあり、松などもあったが、その後、現在の尾根突端の場所に移転している。
 我が家も床上浸水(3m)し、「押し切り」が流され、2軒川下の家近くに引っかかっていて、それは「おらい(我が家)の押し切りだから」と回収、持ち帰った。
 この大正2年の洪水は、大芦で民家3棟流出、下中津川も50~60軒浸水、松山の橋が流された。水田は表土が流され河原化した。松山では橋林(帳面木)という橋の架け替えのための共有林があった(『昭和村の歴史』143ページ、1973年)。
 99年前の出来事である。
 国有林のブナ・ナラの伐採で昭和44年(1969)8月11日も有史来の大洪水が昭和村を襲っている。昭和42年には昭和森林開発チップ工場が出来ている。
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この石段の3段目まで水位は上がった